感情の問題、『文化』の問題。
さて、本日取り上げるのは、ベビー日刊の2月26日付けのエントリー『置いてきぼりにされた鯨肉』。
ここで社主殿の言っているのは、たとえ商業捕鯨が解禁されても、鯨肉は味の面から見て消費量が増大するとは考えられない。それなのに、なぜ鯨にこだわるのがよくわからないということ。
これはこれで考え方としては理解できるものでしたが、寄せられたコメントを読むと、結構、鯨肉がおいしいという人がいるんですね。
あっ、こう書いたからといって、私が鯨肉を不味いと思っているわけではありませんよ。
子供の頃に何度も食べましたが、おいしいとか不味いとかいう評価対象の料理ではありませんでした。
出されたら何も言わずに食べるという感じ。
仮りに今食べたとしたら、多分「硬い肉だなあ」と思うだけのような気がします。
先ほど、社主殿の考え方が理解できると書いたのは、そうした私自身の経験があるからです。
鯨肉には食べ物としてそんな淡白な感想しか持ってないので、今回のエントリーに寄せられたコメントの中にいくつか見られるような、グリーンピースなどの環境保護団体への反発から捕鯨活動を支持していると思える人の感情的な意見には、ちょっと驚きました。
確かに反捕鯨活動を唱える環境保護団体の過激な行動には私も強い反発を感じますが、だからといって、その反動で捕鯨を強く支持しようとまでは思いません。
味覚は人それぞれですから、鯨肉が大好きだという人もいるでしょうが、だからといって、投稿コメントのひとつにある「努力して努力して鯨の食文化普及させて取り戻しましょう」などということまでしなくてもいいのでは、と思うんですけどね。
こんなことを考えるのも、以前から、何にでも安易に『文化』という言葉を付けることに違和感を覚えているせいかもしれません。
ずいぶん前になりますが、まだ若かったタモリが当時得意としていた寺山修司の物真似について「何にでも『文化』という言葉を付ければ、それで何か特別な事を語ったように見える」と話していたことがあります。
その頃似たような事を感じていたので、納得しながらその話を聞いていたんですが、今でも『文化』という言葉が付いた表現には、少し胡散臭さを感じます。
と、この辺りまでが、昨日少し述べた、ベビー日刊に投稿しようか、このブログに載せようか迷っていた内容なんですが、先ほどベビー日刊のこのエントリーへのコメントを確認したら、捕鯨に賛成と反対両方のコメントで理解に苦しむ内容のものが増えていました。
やっぱり感情的になっちゃうと、冷静な論理構成ができなくなるんですねえ。
私も気をつけます。
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